臨書について

 書を学ぶ上で、古典の学習は必要だと考えます。その中に「臨書」という分野があります。ここでは、古典の臨書について、その有用性及び必要性について述べていこうと思います。

 古典とは、数百年から数千年の昔の文字で、これまた、数百年以上にもわたり、さまざまな鑑賞者が、その美を認めてきた文字を言います。石や金属に刻まれた文字や、木や紙に書かれた肉筆の文字などです。印刷技術の発展により、私達は、その写しを簡単に目にすることができるようになりました。
 ここで言う臨書とは、歳月に洗い流されてもなおかつその輝きを失わない、上質の上澄みである古典を、いわば模写する勉強です。

 一流の芸術と称されるものは、必ずその時代を映しています。書においても、歴史として振り返ってみると、まさに、作者の時代の必然性を内包しています。
 例えば、顏真卿の文字に魅かれたとします。先ず最初にすることは、作者の時代背景やプロフィールを調べます。簡単な方法として私は、手本を買うときに一緒に書法ガイドブックを買います。主に二玄社様のものを使っています。そして知りえた時代のドラマ・作者のドラマを念頭に置き、あらためて手本の文字を眺めてみると、そこにある必然性に目を瞠ります。そして想像力をはばたかせ、手本にむかいます。醍醐味はここにあると言っていいでしょう。

 臨書とは大きく分けて、形臨と意臨とあります。文字通りで、あくまで形を追究するか、作者の意を追究するか、の二つの形態があります。私は、書の学習という意味で、形臨をいたします。筆をどのように使えば同じ形になるかを学べるからです。ここでの創意工夫は、もっぱら筆の用い方に費やされます。

 そこで「他人の物真似をして、何が面白い?」との疑問が当然出てくると思います。私自身は、第一級品と同じに仕上げることが創意工夫であり、それだけでも面白いのですが、これはあくまで、「学習」という意味合いとの認識の上に成り立っているからです。(自分自身の創作については別に述べます。)そして、数多くの臨書に挑戦することにより、様々な技法が、やがては自分の血となり肉となることを信じております。

 自分の言葉を自分の文字で表現する上でも、「母なる大地」の上から出発できる事は幸せだと思います。そして、創作の行方を失った時には帰る家となってくれることだと思います。
 古典を味わい、用筆・用法を学ぶためには、古典の臨書は、ぜひとも必要と考えます。


私の好きな古典
 作者 作品名  作者 作品名  作者 作品名
 王羲之 蘭亭叙  顏真卿 祭姪文稿   王鐸 王鐸集
 歐陽詢 九成宮醴泉銘    孫過庭 書譜  ちょ遂良 雁塔聖教序
 鄭道昭 鄭羲下碑  呉昌碩 臨石鼓文    不詳 木簡


私の使用している辞書

 五體字類   東西書房   高田竹山監修
 新書道辞典  二玄社  藤原鶴来編








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